園長先生からの手紙

歳時記 No.2


4月
新しい年度の開始

 新しい年度が始まっています。去年を充実して過ごした方、お家で新生活を待ちわびていた方、様々おられることと思います。


 みくま幼稚園にもフレッシュな新人がやってきました。また、去年度末で退職した職員もいらっしゃいます。 子ども達が巣立つように、様々な事由でみくまを巣立つ職員もいますが、それぞれに同じ道を進む同業の士、同じ志をもつ仲間としてみくまの縁を大切に今後の人生に生かして行きます。


 昨年度、卒園した子ども達は それぞれの小学校という新しい新天地でぴかぴかの一年生です。 今年度も みくま幼稚園は、豊中、吹田、箕面の3市にまたがり、小学校区では20校区以上の就学先があります。 数ある幼稚園のなかで、みくま幼稚園を選んで参加する先生達、子ども達、そして保護者の皆様、みくま幼稚園という小さな社会、コミュニティ、小さいけれどとても大きいあたたかさをもつこの場所で、つながりあって、みなさん今年も育ちあい、学びを深めて参りましょう。


5月
季節がかわります

 暦やカレンダー、テレビのアナウンサーがしゃべるのを聞いていても季節が変わりゆくことがわかりますが、私たちは幼稚園の朝から夕方までの身体で感じる温度と、子ども達の反応で感じます。


 この時期はちょっと中休み、年少さんたちはとくに熱をだしたり、不調がでたり、無理をすると長期の病欠にもなりやすい時期です。 無理なら無理と言ってくれればいいのですが、なにぶん母親も子どもも子育て生活の新人だったりしますとどちらも自分の状況が無理なんだかどうだか、つまりは勝手がわからないので、まあ、共同作業で実績をつみあげていく最中というところでしょうか。 こうして手さぐり、やみくもな毎日に追われながら、子育て経験値は確実にあがっていきます。


 この時期のお休みが続くと、特に新入園のお子さんは、親にしてみれば、一斉にスタートさせたのに、第一コーナーで自分の子どもだけが転倒してしまい、他の集団におおきく差を付けられてしまったような気がするものです。 でもきいてください。年少さんで言えば、まあ、年間保育日数の半分元気で登園できたら万歳だと思って下さい。 第一コーナーで倒れなくても倒れても、倒れては立ち上がり、立ち上がってはまた倒れの繰り返しがこの先ずっと続いてゆくのです。  倒れても喜びが待っているから立ち上がる、実験や挑戦があるから倒れることもある、そんな繰り返しをさせたいと、「みくま幼稚園」は人生に有意義な時間と体験を子ども達と作り上げようとするのです。


 子どもの人生の時間は子どものためのもの。 親のため、先生のための時間ではないし、幼稚園や学校のための人生でもないからです。 だから、ああ、うちの子はよくやっているから、ここらで小休止をとってもいいってことなんだな、私も子どもも子育てライフを一生懸命生きているから子育ての神様が休暇をとっても大丈夫だよと言ってるんだな、と思って下さい。 私はたぶん、そのメッセージは正しい、と思っているのです。


 季節は春から夏へ。去年寝込んでいた年少さんが年中さん、年長さんになれば、格段の体力がついてきます。保育所や、他の幼稚園から「みくま幼稚園」へやってきた子ども達も、確実に体力をつけ、小さな社会でやって行く術を身につけていきます。


 毎年たくさんの子ども達の成長していく姿を20年以上見送ってきました。  毎年、この時期の出欠調べをみるたびに、季節をひとめぐりして一生懸命に育ってゆく子ども達にあたたかい声援をかけたくなります。 そして、我が事のように気をもんだり、はげまして日々の体調管理に心をくだいて幼稚園へと子ども達を送り出そうとしてくださるお母さん達の気持ちにただただ感謝の言葉をかえしたくなります。 それぞれの、子ども達の将来へのあたたかい気持ちがめぐりあうように、そうして季節がめぐって行くんですよと、お母さん達に伝えたくなります。


6月
終業式をむかえて

 1学期も大過なく終えることができました。皆様にご理解、ご協力をいただきながら保育をすすめてくることができましたこと、心より御礼を申し上げます。


 すいぶん前に、幼稚園のプリントを英訳していたとき、学校生活のことを英語ではスクールライフと訳しました。ああ、学校での時間は、子どもにとっての人生における時間なのだ。 この当たり前の事実に初めて気がついた私は、子どもの人生に役に立つ学校でありたい、「みくま幼稚園」をそうした体と心の学校でありたい、そう願ってきました。 「のびのびとこどもらしく」その言葉を支える土台は人間として豊かに生きてゆく、一人の人として自立し、支え合い、育て合うことのなかにあると考えます。


皆様のご理解、ご協力重ねて御礼を申し上げます。


9月
入園説明会におもう

9月に入り、入園説明会をいたしました。お天気にも恵まれたくさんの方にご参加いただきまして感謝しております。


 こうして、足を運んで話をきいていただける機会をいただくことはとても有り難い機会です。 「みくま幼稚園」がやりたいこと、できること、届きたいと思っているところ、そしてそれを証明してゆくことは保育そのもの、子どもの育ちそのものと改めて肝に銘じます。 


 当日入園説明会に足を運んでくださった若い母親である「お母ちゃん」たち。そして今この時間も一生懸命に子どもを育てようとしているたくさんのお母ちゃんたち。


 みたこともきいたこともないことをいきなり本番でやらされて、失敗したら子どもの将来に響くぞと言われたり、一人一人ちがうからといわれたり、皆とちがうじゃないかと言われたりしながら、なにが正解でどうしたらよいかもわからないけど、とにかく毎日、目の前の唯一無二の我が子と一生懸命にむきあって子どものために役立つことをしてやりたいと願って、子育てをしていこうとしているお母ちゃんたちに、心からエールをおくります。 そして、「みくま幼稚園」ができることを姿形にあらわして行きたいと思います。


10月
運動会に思う事

 運動会と鉄棒、跳び箱、給食。この四つのない人生をひたすら模索した私が選んだのがこの職業、じつに皮肉なものです。この私がえらんだからこそ、子どもが幼稚園で過ごす時間を人生の糧に出来るように、幼稚園が子どもの人生に貢献できるような保育をするというのが私の発想です。まあ、アウトサイダーならではの発想が、本来のあるべき姿の考えと同じというのは妙なものです。


 子ども達が集団の中で育ってゆく姿、我が子が育ったなあと思う背景には、たくさんの我が子の属する社会の仲間の存在があります。同世代の寄り集まっただけの集団が、身を預け合う、手を握り合う相手になり、仲間になってゆく時間、それが保育の時間です。 年長児になると、そのための時間が育ちとなって、その姿形となって目に見えるものがあらわれます。親にも確かな手応えが感じられてきます。子どもは、放っておいても、命があれば発育し、成長もします。


 しかし、大きくなって、できることがふえていく行程で、仲間とまで呼べる集団に身をおけるかどうかは子どもの人としての育ちに大きくかかわります。「みんなは一人のために、一人はみんなのために」その言葉が確かな喜びとなっていくことが大事です。


 子どもがみずから参加して達成したいと思うだけの集団に出会うかどうか、それが大事な行程です。年少、年中の時間はその蓄積の時間です。 基盤をつくる体験の時間です。 先生達は仲間の一人として、子分のためなら火の中、水の中に飛び込んで助けにいく親分として、そして、生まれて初めて出会う最初の親友として子ども達に寄り添います。 満足の行く結果がでなくても、我が子のみを見つめている親の目には不十分だと思っても、子ども達自身が自らの力で生きてゆけるようにと願う気持ちは、現場の先生も親も、幼稚園もかわらないように、先生達が成し遂げようと小さな仲間と懸命に取り組んだ方角は、絶対に子どもの将来に向かっていると私は実感しているのです。


 「みくま幼稚園」が運動会を通じてなにをしようとしているのか、子ども達の人生にどのような貢献ができる保育をしようとしているのか、少しでも感じ取っていただけたら、それは大変幸せなことです。 今年の運動会には日が迫ってからの日程変更や、当日まで現地の状況がよめずにプリントが間際になりましたこと、また、会場では大変窮屈な場所であるにもかかわらず、多大なご理解、ご協力をいただきました。幼稚園と、そしてなによりも親元を離れて小さな世間に身を置いてがんばっている子ども達のために、たくさんの心配りを頂戴致しました。


 職員一同、心よりお礼を申し上げます。 ありがとうございました。


11月
クリスマス絵本を贈る

 池をのぞき込んだだけであんなに大急ぎでやってきた亀達が、ぼんやりと水の底であくびをしたり考え事をしたりするようになると、「みくま幼稚園」にも冬の到来です。ウサギ達はいつのまにかモフモフとあたたかな密毛(みつもう)であたたかそうな毛皮に着替え、アヒル達は元気に冷たい水の中ではしゃぎます。


 子ども達は元気な歓声をあげて、仲間同士の中でのやりとりを楽しみ、自分がすでにこのコミュニティの中で、しっかりと市民権を得て、自分たちがこの社会を運営している事を意識できています。 これからが冬から春にかけての学びの時期と言えましょう。


 「みくま幼稚園」では、子ども達へクリスマスのプレゼントとして「クリスマス絵本のプレゼント」をしています。PTAの厚生部さん主催の「みくまバザー」の売り上げの補助をいただいて、子ども達へのプレゼントです。 でも、私は、これはお母さん達への贈り物だと思っています。


 毎日、毎朝、子ども達を私たちのもとへ送り出してくださるお母さんたち、親であれば子どもの愚痴や話をきいておれば、様々な思いが胸にはあるお母さん達が、それでも幼稚園に行っておいで、今日は昨日よりきっといいことあるかもよ、と子どもの背中にそっと手を添えて送り出してくださる。 それは当たり前にできそうで、当たり前にはできないことだと私は思っているのです。


 親であれば、小さな子どもを育てているお母ちゃんであれば、私であっても同じ事をする、私だってそうしてきた、そんな思いで自分より年若いお母さんたちに向き合うようになれるのは、自分が少しずつ本当の大人になってきた手応えを感じ始めたからかもしれません。


 絵本には人生で三度の出会いがあります。幼い日に子どもとして親に読んでもらう絵本、大きくなった後に自らが一人の人としてもう一度手に取ってよんでみる絵本、そして幼い子どものために親として読んでやる絵本。 「みくま幼稚園」を選んでくださったお母ちゃん達、一生懸命に小さな子どもを育てているお母ちゃん達に心よりお礼を申し上げます。


そして、クリスマスの祈りをこめて、「みくま幼稚園」より一冊の絵本をお贈りいたします。どうぞ、お楽しみに。


12月
冬休みがやってくる

 4月に始まった新学期が夏を越え、秋を越え、冬になりました。このお正月を超えたらあっという間に早春の頃、季節がようやくひとまわりします。


 年間の保育日数の半分を元気で登園できたらじゅうぶんですよ、といわれた年少組さんも次の桜の花の下では年中組さんの名札をつけます。 年中組さんは待ちに待っていた年長へ、そして年長組さんはみくまから巣立つ日がやってきます。


 三学期はいちばん短い保育日数の学期です。 そして一番かなめになる学期でもあります。 過ぎ去る日が早いだけに、そして子ども達の育ちがその学年として最も成熟してくるだけに保育の密度も濃くなる学期です。 こころして三学期の幕開けを迎えたいと思います。


 お正月は日本に残る年中行事のなかでも、まだ郷土色が残る昔ながらの行事といえましょう。子ども達が小さいうちは親戚があつまって、お年玉やかるたとり、子どもの話や家族の話、親戚が顔をあわせて食事をしたり、遊んだり、おじいちゃんおばあちゃんたちは忙しかったりうれしかったり、なつかしいにぎわいが帰ってきます。


 父方の故郷、母方の故郷、二つの故郷を持つ子ども達、二つの家の文化を受け継いでゆく子ども達、やがては自分の生まれ育った一つの家庭の文化を受け継いでゆくこどもたち、お正月は家庭の文化を継承する行事でもあります。 やがては受験や就職で集まる人数が少なくなるお正月の宴席を楽しんですごしてほしいと願います。そして、料理にのこる郷土色をおぼえていてほしい、なつかしい家のにおいとともに残してほしいと願っています。


1月
三学期というもの

 学年のしめくくり、三学期のほぼ半分に近づいています。 一番短い保育期間、いちばん濃厚な毎日の学期です。


 この時期は私たちのかなめとなる学期です。 預かる事が出来た時間の中で、どれだけ一人の子どもと向きあって、育ちへのアプローチをかけることができるのか、なにを導いてなにを見守ってゆくのか、その成果を次の学年の先生へ引き継いでゆく時期でもあります。


 私たちは一人の子どもが、「みくま幼稚園」に入園をしたその日から、その一人の子どもの成長をどうしたかたちで育むか、現場は手だてをうってゆきます。 子どもは一人一人が別人です。人間がちがいます。ですから300人の子どもに300通りの手だてをうってゆくのです。 300人に幼いながらも社会人としての個別の指導をしてゆくのです。 そして300人の子ども達が「みくま」という小さな世間に社会参加をして、自分たちのコミュニティを作り上げ、運営し、成熟させてゆくのです。 そこで子どもが育ち合い、支え合い、与え合って、豊かな人生の時間をやりがいのある苦労とともに仲間と分かち合ってゆくのです。


 現場の先生達は、その仲間の一員として胸を張りながら、その夢と希望にむかって勤めを果たしてゆくのです。 やがてやってくる新年度にむけて、年少組の先生達は年中組の先生へたすきをつなぎます。 年中組の先生達は年長組の先生へたすきをつなぎます。 そして、年長組の先生達は子ども達一人ずつを就学先の小学校へ手渡して、お母さん達へたすきを渡してゆきます。


 みくまで過ごした、みくまで育まれた、そしてみくまへ我が子を託したお母ちゃん達の思いの全て、かけがえのない我が子を託された私たちの思いの全て、子ども達という仲間と過ごした思いの全て、それら全部が織り込まれたすきを、子ども達とお母ちゃん達へと、またわたしてゆくのです。今度は私たちが、みくまのたすきを託してゆくのです。渡す、託す、そしてつないでつむぐ、三学期というものは、そんな姿をしています。


2月
ドッヂボールの季節

 年長組さんはこの時期はドッヂボールの季節です。触発された小さい学年も見よう見まねでやってはみますが、年長組さんのように、ルールのある遊びを楽しむところまではいきません。


 みくまという小さな社会を運営している子ども達の成熟期がやってきています。 どんなに小さな社会でも、理の通らないことはおこります。 それをどうしてやりこなしてゆくか、それでもどういう道を選択してゆくのか、そのきっかけとなる出来事は日常のなかで絶えずおこります。


 理不尽なことが起こりえない社会で成長する事は実際的ではありません。 理不尽なことが理不尽な事だとジャッジをされて、では自分はこの身にふりかかった出来事とどう向き合ってゆくのか、自分はどういう人間になるのか、その選択をして、人としてあるべき方角へ進んでゆく体験をするということが大切なのです。


 私たちはそれをみちびき見守る良きジャッジ(審判)でもある事が求められるのです。 ドッヂボールの初期段階では、ルールが守れず我を通す子も、やがてはその我が通せなくなります。


 ボールがあたれば外野へ出なければならないけれど、当たっていないと言い張る子に、それまでは黙っていた物静かな子がある日「あたったぞ」と相手に言えます。 「当たってない」と言い張っても、そこにいるみんながルールを守れよ、遊べないやないか、といった眼差しで「当たったら外野へでろよ」と、ある日口々に言い出します。 決着がつくまでゲームは中断です。そうなるとボールに当たった子どもは仕方なくルールに従い外野へ行きます。 しかし、やがては当たればすぐに、活気に満ちて外野へ行くようになります。


 チームの一員として外野へ行って仲間を助ける、ゲームを楽しむために速やかにゲームの進行をさせてゆく、みんなで楽しむ自分たちのゲームである事をだんだんと理解して、楽しめるようになるのです。 チームプレーの喜びが、だんだん実現できてゆくのです。みくまの社会人として成熟したその姿があらわれてゆきます。そしてその最年長の学年の仲間達の姿を、次の学年の子ども達がみています。 まだできないけれど、その姿をしっかりとみて、知っておくのです。 そして、知っているだけの物事を、やがて我が身に起こる様々な出来事を体験する中で、理解をして、認識をしてわかってゆくのです。


 来年の今頃の姿を思う、去年の今頃の姿を思う、一年の成長の姿に思いをよせる、ドッヂボールの季節はそんな季節です。


3月
卒園の春、進級の春

 毎朝子どもを幼稚園へ登園させるということは大変な作業です。子どもは幼稚園は楽しい、幼稚園へ行きたい、と言ったとしても、それは毎朝さっさと身支度をして登園しなければ、という自主的な作業にはつながりません。お母さんはとにかく毎朝幼稚園の門まで、通園バスのバス停まで子ども達を連れてこなければなりません。


 ましてや行きたいと言う日ばかりではありません。ぐずる日や、お母さんとしては体調や様々なことをおもんばかりながら、それでも幼稚園へ行かなければ、と自分を励ましながらの朝もたくさんあったことと思います。


 こどもが自分の目の届かないところへ行く、二人きりで過ごしていた子どもをまだ見ぬ仲間のもとへ託してゆく、それは喜びと苦しみがいりまじるたいへんな仕事です。 子ども達を幼稚園へ毎朝登園させていただきました。毎朝子ども達を「みくま幼稚園」へ託していただきました。 たいへんな作業を様々な思いのなか、それでも子どもの成長をともに喜びをもって伝えてくださいました。


私たちはこころよりお礼を申し上げます。